野毛大道芸のはじまり


 JR桜木町駅前に広がる野毛町は、戦後「闇市」としてゴッタ返し、桜木町駅が国鉄の終点であったころまで活気に溢れる飲食店・商店街でありました。
 しかし、線路の延伸、近郊の開発、発展などにより、年々寂れていく野毛の街。この地盤沈下に悩んでいた街の人々は街興しのため露天画廊・大道芸を出し物にした横浜野毛祭を企画しました。
 もともと野毛の街を山から見守る成田山別院の境内には、その昔、香具師(やし)や大道芸人が訪れ、国民的歌手美空ひばりさんが初舞台を踏んだ国際劇場があったりと、野毛は芸能に縁がある土地柄であったのかも知れません。
野毛祭は、観客動員数3000人を記録し、中でも人気のあった大道芸をメインにした祭りを翌年1986年春からスタートさせました。
これが野毛大道芸の始まりです。

野毛大道芸の特徴


 小さな街、野毛が企画した野毛大道芸というお祭りのユニークな点は、芸を披露するスペースが、交通封鎖した道路上であることです(野毛地区)。
また、野毛大道芸では、出演者たちに出演料がありません。交通費として1日2万円と食事(鰻丼・缶ビール)を支給するだけ。あとは自分の腕で投げ銭を稼いでもらっています。
 そして、ジャグリング(西洋風お手玉)やマジック、パントマイム、 アクロバット、または口上芸(ガマの油)などが大道芸のジャンルとして有名ですが「道で披露する芸すべてが大道芸」と、ジャンルにこだわらない演出で、常に新しいことにチャレンジしています。
 もっとも特筆すべき点は、「野毛大道芸が、ボランティアによる手作りのお祭りである」という点です。運営の中心になる実行委員会は街の住民、商店主と横浜市内外から集まってくるボランティアスタッフを中心に構成されています。スタッフはそれぞれの仕事や学校を終えた後、野毛に集まり大道芸開催の準備をし、当日の運営をします。
 野毛大道芸はいろいろな協力を得て、第1回から18回までは春と秋の年2回開催、第19回より年1回の開催として、みなとみらい地区まで開催区域を広げ、第26回からイセザキ・モール12stも開催地区に加わり、昨年春の2005年に20周年・第30回の記念の年を迎えました。

野毛大道芸の軌跡

第1回  (1986春)
パン猪狩・早野凡平・ヘルシー松田をはじめ20組、26人の芸人がイクオ三橋のもとに集まり、4月12・13日の2日間開催された。観客は3000人。

第2回   (1986秋)

亀田雪人・サイクル松林ほか31組の芸人が集まり観客動員数も4500人。特に人目を引いたのが、フランスから参加したレ・ノクタンビュール。空中ブランコが野毛の空に初めて舞い上がった。

第3回  (1987春)

35組61名の芸人。5万人の観客を集めた。初出演の現代民謡伊藤多喜雄は30万円の投げ銭を集め喝采を浴びた。なおこの回は野毛本通りから野毛坂に会場を 拡大して開催した。

第4回  (1987秋)

ますますふくらんで50組115人の芸人が出演した。観客も7万人集まり、この回は沖縄から伝統武道が出演し大人気を浴びた。

第5回  (1988春)

この回は新装した野毛本通りで華やかに開催され、54組130人の芸人。観客は一挙に17万人。日本全国から注目されるイベントになった。バイオリン演歌師の桜井敏雄ら常連に毎回新しいメンバーが加わりフランスを初めとして海外からの参加も多くなった。

第6回  (1988秋)

昭和天皇のご病気ご回復を祈願して中止とした。

第7回  (1989春)

1日目は雨にたたられ中止。2日目は好天に恵まれて10万人の人出。

第8回  (1989秋)

フランスからの空中ブランコを目玉に立体的なイベント空間を創出。会場を広げないと実施不可能にまでなった。芸人281名。観客動員15万人。

第9回  (1990春)

昼過ぎまでの雨にもめげず開催。第3回より連続出場の伊藤多喜雄が前年暮れの紅白歌合戦に出場したためか会場はいちだんと盛り上がり観客数15万人。この回より街のプロデューサーとして橋本隆雄が正式に就任した。

第10回 (1990秋)

早野凡平追悼公演。野毛大道芸の発展に大きく貢献してくれた凡平さんの涙雨が降って1日目は中止。 2日目はそのエネルギーが爆発して元気いっぱいに開催された。特にバリ島からはるばる来日したバリダンスが好評。海外からのパフォーマーも28名になった。

第11回 (1991春)

ドイツニュールンベルクよりオールドサーカスの花形スター、マンフレッド沢田氏をお招きして国際化に弾みがついた。稼ぎ頭の伊藤多喜雄は2日間で200万円の投げ銭を稼いだ。

第12回 (1991秋)

スペシャルゲストにカナダからコメディアンのミスター・スマイスを迎え、海外からの参加者15組と大いに期待が盛り上がったが、1日目は雨のために中止。2日目はそれを挽回しようと大盛況となった。

第13回 (1992春)

スペシャルゲストに世界一流の一輪車とジャグラーの2人組フライングダッチマンを迎えその他海外からの参加芸人を含め両日で約200500人の芸人が集まった。観客動員数12万人。日曜は雨の降る中、傘も差さずに見入るお客様の姿に次回からは小雨決行を決断した。この回から街の人以外のボランティアスタッフが運営に参加した。

第14回 (1992秋)

スペシャルゲストにフランスからパフォーマンス集団「イロトピー」を招聘。芸術の香りが野毛に漂った。 また「静岡第1回大道芸ワールドカップ」で見事2冠を取ったのは、ご存じ「人間美術館」の雪竹太郎だった。他の受賞者もほとんどが野毛の常連。芸の水準の高さを証明した。

第15回 (1993春)

スペシャルゲストのオランダのディアボロの名手マイカ・アルデンを招聘。芸人168組460人。海外から19組、国際都市横浜にふさわしいイベントになってきた。

第16回 (1993秋)
フランスからシャンソンとバーバリーオルガンの「アニー&アルタス」を迎える。その他世界にパフォーマーとして名前が知られるダニエル・グルコ、マロなども参加した。野毛からもパリ郊外の町ノンテールのフェスティバルに雪竹太郎以下数名を派遣し芸の国際交流を実現した。11月に横浜市から「文化賞奨励賞」「まちなみ景観賞」をダブル受賞。
第17回 (1994春)
ゲストにアメリカのクラウン「ローラハーツ」その他フライングダッチマン、フランスのさーかす界をリードするバロックサーカス団団長クリスチャンタゲも来日。海外20組国内精鋭53組。2日間天気に恵まれて観客も最高の17万人。しばらくお休みしていた伊藤多喜雄も出場した。

第18回 (1994秋)

ゲストはフランスから路上音楽家「テアトル・ド・ユニテ」を迎え奇想天外な場面を創出した。カナダのクラウン「ギレン・ポール」。一輪車「ジャン・ソシエ」も活躍。柳通りが工事中であったため桜通りを日曜のみ使用 。サンバの乱舞が人気を呼んだ。

第19回 (1995春)

横浜市が主催者に加わり、年一回の1週間程度のロングラン公演を企画した。開催地も野毛地区の他MM21地区にも進出。多くの観客を集めた。 スペシャルゲスト、フランスからアクロバットチーム「ル・アクロスティッシュ」を招聘。

第20回 (1996春)

前回に続いて「野毛大道芸ウィーク」としてランドマークホールでのコメディーシアターを幕開けにして5日間の開催。今回より吉田町通りにも進出した。土曜日には好天に恵まれ15万人の人出。MM地区はランドマークホール入場者数約1千名。ランドマークスクエアには約1万2千名。

第21回 (1997春)

スペシャルゲストとしてスペインから演劇集団「モルボリア」を招聘。スタッフが海外視察をした成果が実ったものである。土日と好天に恵まれて空前絶後の人出で、この混雑緩和が次回の運営の課題となる 。

第22回 (1998春)
大道芸のルーツをたずねてということで、モンゴルよりパワージャグリングとコントーションを招聘、会場にはモンゴルの移動式住居「ゲル」も設置し大好評だった。MM地区との連携もうまく取れおおくの人出で賑わった。また初めての試みとして身体の不自由な方や高齢者の方に向けコメディーショーを地区内の劇場を借りて上演した。

第23回 (1999春)
野毛ちかみち開通記念イベントとして開催された。22回から引き続きシルクロードのサーカスをテーマとして韓国からサムルノリ(男寺団)、人間国宝級の革筆家を招聘し、在日同胞に大好評を博した。一日目は雨にたたられたが、新しく開通した「野毛ちかみち」で数組が公演を行った。2日目は好天で大変混雑した 。

第24回 (2000春)

2日間とも上天気で、空前の人出、50万人が楽しんだ。「アジアの大道芸を訪ねて」シリーズ。今回はモンゴルのクラウンハトガーが登場し、モンゴル大寒波のカンパ活動も行った。その他のゲスト・デンマークより「THE TOONS」、フランスより「カメレオン・キッパズ」とバーバリーオルガンの「ジル・ビュタン」。開催エリアは新港地区のワールドポーターズに進出した。

第25回 (2001春)

1日目は時折雨が降ったが、出来る芸は演じて、沢山のお客様を楽しませた。2日目は上天気。スペシャルゲストの韓国チュルタギ(綱渡り)は、特に大人のお客様を呼んで、日韓交流に役立った。開催エリアは桜木町駅前のクロスゲートとジャックモールに伸び来場者数は64万人。

第26回 (2002春)
ワールドカップ開催を祝って共催国韓国からキム・ジュンチェ(韓国飴売り)、前回開催国フランス日本代表対戦国ロシア・ベルギーの一流のアーティストを6組招聘した。その他、野毛独自のゲストとしてフランスのサーカス「シルク・バロック」団長クリスチャン タゲ、ベリーダンスのエンマ、オーストラリアから銀色の天使キネチック・シアターの3組を呼んだ。土曜日は快晴で大変な人出。あいにく日曜日は大雨となって野毛・吉田町、新しく参入した伊勢佐木地区は中止、MM地区のみ開催となった。両日の人出は全エリアで51万人。 また横浜にぎわい座のオープンを記念してステージショーを企画した。

第27回 (2003春)
パシフィコ横浜で同時開催の「旅フェア」の影響もあり、日曜日は小雨だったが全体で88万人の観客を集めた。テーマ『ファミリー』に合わせてスペシャルゲストはロシアから「ペキーノフ・ファミリーサーカス」の5人。イセザキモール12stとグランモール円形広場ではナイトショーを。野毛地区は「流し芸」で夜までにぎわった。

第28回 (2004春)
日米交流150周年に合わせて、テーマは「アメリカ」。野毛地区は「戦後・闇市・進駐軍」をコンセプトとして演出した。全出演者は83組。同年1月31日の東急東横線「横浜〜桜木町」駅間廃線にともない、新線みなとみらい線からの会場導線のアピールとして「馬車道駅」構内にもステージを設置した。両日晴天に恵まれ2日間で128万人の動員数で、横浜市のイベントとしては初めて100万人を動員した。

第29回 (2004秋)
10年ぶりに秋の大道芸を開催した。場所は野毛本通りとイセザキモール12stで、吉田町はアートフェスティバルを開催。野毛会場は「新人登竜門」企画として、野毛大道芸初参加の出演者が1日目は雨にも関わらず熱演した。2日目は曇天、観客動員数両日で32万人。

第30回 (2005春)
テーマはサプライズ。1986年からはじめた野毛大道芸もボランテイアスタッフ、パフォーマー・芸人さん達に支えられ20周年を迎え、観客動員では横浜市内最大のイベントに成長しました。

第31回 (2006春)
4月22・23日開催。

 

問い合わせ先 野毛大道芸実行委員会
231−0065 横浜市中区宮川町1−14  野毛地区街づくり会内
TEL 045(262)1234
FAX 045(241)4000